台湾へ移住して日本語教師

2018年から台湾で日本語教師をしています。

非常勤講師になる

晴れて大学院へ進学したわけですが、大学院の2年間は人生で最もお金がない2年間になりました😅

生活のベース

授業料も生活費も奨学金とバイト代で賄わなければなりません。

バイトは食いっぱぐれないだろうという下心でビュッフェのキッチンの仕事を始めたのですが、そこの労働環境がとても悪くて🤣

結局、非常勤講師をしながら大学院へ行くのが良いのかなぁと考え、週に3日ほど非常勤をしながら大学院に通いました。

借りた部屋がお風呂のみ共同という部屋で、使える時間が決まっていたのでそれがやや不便でした。

洗濯機もコイン式だったので、手洗いできるものは手洗いしていました。

非常勤の仕事

国内で初めて勤務した学校は、小さな日本語学校でした。95%中国人の留学生で、2人ほどのバングラデシュやネパールの学生がいました。

初めて教室に入り、授業をした衝撃は今でも忘れません。

・当然のような顔で遅刻してくる学生。

・目の前で机に顔を突っ伏して寝る学生。

・タメ口で文句を言う学生。

中国の大学で教えた学生と正反対。どうしようか・・・と思いましたが、ある学生が

「先生、中国のどこにいたの?」と聞いてきたので中国での経験を話しました。

すると、

寝ていた学生が起きて、「へー!そうなんだ」とこちらに興味を示しました。

「ああ、これこれ。」と懐かしい気持ちになりました。

留学生の大変さ

非常勤の仕事をしながら、学生といろいろ関わる中で、留学生の大変さというのを知りました。

ほとんどの学生はギリギリの資金で留学してきていたり、親から大きな期待を寄せられていたり。毎日バイトをしている人がほとんどで、バイト先で嫌な思いをしている学生もいるようでした。

それでも、国からお菓子や食べ物などが届けられると、みんなでお菓子をつまみながら、こちらにも「食べる?」と分けてくれたり、「ケチ!!」と文句を言いつつ校外学習に参加したり、無邪気な一面もよく見ました。

大学院修了

2年間こんな生活をして、大学院を修了してからは複数の非常勤講師の仕事をこなしました。

その中で考えたこと、知ったことなどを次回書きたいと思います。