この前Twitterをぼけーっと見てて目についたことと、最近台湾を若干賑わせている問題はどっちも境界の曖昧さがあるなと思いました。
セクハラはどこからどこまで
誰かがどこかで書いてたものでも見かけましたが、「セクハラ(パワハラ)」。
今、台湾ではこのセクハラ(パワハラ)問題で地位を追われたり、批判されたりというのが頻発しています。
セクハラって私が高校ぐらいの頃からけっこう社会の目が厳しくなってきていて、「異性に言われた、されたことで不快になったら、とにかくセクハラ!!」みたいな風潮があったように思います。
だからなのか、「髪の毛切った?」「メイク変えた?」もセクハラ。
「新しい服だね。」もセクハラ。
「新しい服だね。胸が大きく見えるね。」は間違いなくセクハラだと思いますが、単純に相手が外見を変えたことを言ったのって、「今日は雨が降ってるね。」と同じ「事実」じゃないの?と私は思ってしまいます。
本当に正直なところ、「そんなに嫌ならメイクは変えなきゃいいし、毎日数ミリずつ髪切ったらどうなんだ。新しい服は職場に着てくるな。」とさえ思ってしまいます。
私は自分がけっこうバッサリ髪を切った時に、男性の同僚が気まずそうに目をそらすほうが嫌です。
自認と実際の性
ツイッターで見かけたのは、東京の某一流女子大学が「性自認が女性ならOK」というルールを来年から適用するというニュース。
これ、毎日のようにツイッターで見かけますが、トイレや公衆浴場は「体も自認も女性は女湯」のようにルールを決めた方がいいと思います。
こう書くと、「体の適合手術を強要された!!」とか訴える人もいるようですが、強要はしてません。
私、当事者ではないのでいろいろな事情や葛藤は想像するしかないんですが、適合手術を受ける・受けないってすごく高いハードルだと思います。
そのハードルを乗り越えても性別を超えようという人は超えた方の性別の人と同等に扱われるべきだと思います。
これって、「外国人に参政権がないのは差別だ!」と同じで、差別じゃなくて、国籍や自分の性別を超える「覚悟が見せられた人」には認められることじゃないかなと思っています。
だからって、適合手術を受けてない人は覚悟がないと言いたいわけではありません。
私には想像もつかない事情が当事者の方の数だけあると思います。
まとめ
どっちの問題も、人の心のような見えない部分が関わる問題だけに、全員が納得する、全員が傷つかないというのはかなり難しいと思います。
でも、最近の台湾のセクハラ問題を聞くと、「台湾も髪切った?って聞いたらセクハラってなるのかなぁ」と思ってしまいました。
簡単に線引きはできないでしょうが、「ここからセクハラ」「ここからLGBT差別」みたいな基準はいるようなと思います。
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